勝利のために準備すべきこと

Prepare To Win

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勝利に貪欲なほど、アスリートは“準備”に慎重になる。臆病なほどだ。
それは勝利を積み重ねれば重ねるほど度合が増していく。
一方で肉体は年齢には勝てずに衰えていく。そこでアスリートはもがく。
もがいて、もがいて、前に進んでいく。
全日本のトップカテゴリーJSB1000で10度のチャンピオンに輝いた中須賀克行は、人一倍もがいていた。

勝利のために準備すべきこと

2倍かかるんです。
でも、その価値はある。

“準備”という言葉を、中須賀克行は選んでいる。
マシンでも、フィジカルでも、メンタルでも、これでもかと準備=Prepareしておく。
準備とは、事前に緻密に計画して、実行する事柄で、単なる猛練習とは大きく異なる。
「肉体的には、以前と同じ状態を作り上げるのに2倍かかりますね。
体力の低下は避けられないですよ」
“以前”とはずっと若かった頃。
彼は10度目のJSB1000チャンピオンを決めた直後の8月9日に40歳の誕生日を迎えた。
アスリートとしては異例だ。
ベテランと呼ぶに相応しいが、彼が発散するパワーは常に若々しく、
同時にとても上質で、計算しつくされているように感じる。
“デザインされた”といっていいほどだ。
「でも、本当に(体力を維持するのに)2倍かかるんです。
2倍の時間がかかっても戻す価値がある。何を何のためにヤルかってことです」
同じように見えるトレーニングでも、目的と部位を意識する、しないでは効果が大きく異なる。
脳の指令伝達経路も、それによって動く筋肉も、意識によってその反応が違う。
ただ無意識に猛練習しても効果がないとはいわないが、同じ時間でも成果はまるで違うのだ。
その彼が、引退を発表した42歳のバレンティーノ・ロッシについて
「あの年までMotoGPマシンを(レースディスタンスを)フルに乗り切れるなんてスゴイですよ。
僕ならとてもモタない。とにかくMotoGPマシンは加速GもブレーキングGも強烈で、
左右への切り返しも半端ない」

勝利のために準備すべきこと

たとえば極端な話、JSB1000では100mでブレーキングするところを、
MotoGPマシンでは50mで済ませてしまう。
その代わりに2倍以上のブレーキングGがライダーを襲い、それを身体全体で支えるのだから……。
彼は、ヤマハのMotoGPマシンの開発ライダーでもあるから
「その分JSB1000に乗ったときの(体力的な)アドバンテージはあるでしょうね」
それも充分な準備をしてこそだ。
「レースでは、リズムを大切にして、体力をさほど使わなくて済む場面もあります。
その辺は年を取るごとに上手くのなっているんで」
メンタルでは
「速く走りたい、負けたくない、という思いが益々強くなる。
負けず嫌いですね。勝ち方にもコダワリがあります。
タイトルは、取れば取るほど難しくなるんで、準備はより大変になってきますね」
そこまですれば、自信満々で本番に臨めると思うのだが……。
「実はけっこうなビビりなんで、その分準備しておかないと心配で」
慎重な姿勢は、一流アスリートに共通している性格だ。
その慎重さを覆い隠す自信に満ちた態度も共通しているが、
ここまで充分の準備をしたという自負と、まだ足りないという不安とが入り混じって、
ここまで来たからにはヤルしかないという割り切りが、自信に見えるのに過ぎない。
それほど一流アスリートは慎重で用心深いのだ。
彼は生まれも育ちも、現在住んでいる所も北九州市だ。
「いい所なんで。故郷でもありますしね」
と同時に、プロフェッショナルとしてのプライドから、地元北九州に住み続けている。
ヤマハなら静岡県磐田市、袋井市、浜松市に住めば便利なはずだが。
「必要ならば、どこにいても呼んでもらえるハズ。そういう存在であり続けること。
まあ、今は飛行機とか新幹線とかで早く行けますから、どこにいても問題ありませんよ」
ファクトリーライダーの意地ともいえる。
中須賀克行、40歳。衰えるどころか、トップアスリートとして益々輝きを放つ“絶対王者”だ。

勝利のために準備すべきこと

プロフィール

中須賀克行(なかすが かつゆき)
1981年8月9日、福岡県北九州市生まれ。ヤマハファクトリーライダー。
3歳のとき、バイク好きだった父・克次さんの影響でポケバイに乗り始める。ポケバイ、ミニバイクを経てGP125 、GP250 へステップアップ。高校卒業後、すぐにプロを目指すつもりだったが、父の強い勧めで大学へ進学(地元の九州国際大学)。ちょうど全日本に参戦を開始した頃(1999年にスポット参戦、2000年からフル参戦)で、勉強との両立に苦労した。2005年からJSB1000(YZF-R1)に乗り、2006年からはヤマハと契約。2008、2009、2012~2016、2018、2019、2021年に同クラス全日本チャンピオンを10度獲得している。2021年タイトルを獲得して第5戦鈴鹿MFJグランプリでは、自身の全日本JSB100での60勝も達成。ヤマハではMotoGPマシンのYZR-M1の開発ライダーも務め、スポット参戦した2012年最終戦バレンシアでは2位で表彰台に上がった。鈴鹿8耐では2015~2018年まで4連覇を果たす。2014年からHYOD契約に。現在も生まれ故郷の北九州市に家族と暮らす。